肺炎の入院と骨折の入院の後

ちょうど一年前の今日、親はリハビリ専門病院を退院した。
帰りの道々は安会に近い桜が咲きほこっていた。今年は寒さと雨風に加え雷で桜ではなくゴミが庭に吹き飛んできていた。

おととしの2017年7月、体調が良くなく、体温を測ると37度少しの微熱が一月ほど続いていた。本人は体がだるいと訴えていたが熱は微熱でこれと言って症状がなく、夏風邪だろうと話していた。同時期に食事中に口からご飯粒が落ちることが良くあった。それも食事しながら話をしていてはご飯粒が一つぶ落ちる、といった具合であった。ほかには、何かものを拾おうと腕を伸ばした際によだれが一滴落ちるといったことがあった。それを本人に言うとああ、気を付けると話していた。

同年8月、あまりに体がだるいと言い出し、脱水状態を疑って病院で見てもらうと診断は細菌性の肺炎と診断された。MRIには肺の炎症が写っていた。ただ肺炎によくあると聞いている高い熱やタンが出るようなことはなかった。DRからは「高齢だし念のため入院しましょう」と言われた。原因を尋ねると「うーん、何かはわかりません。土かもしれないしエアコンのカビや埃かもしれないし、人からうつったかも知れないし。体力が落ちているとなります」

三週間ほどで退院になった。酸素マスクもなく、抗生物質の点滴だけだった。そして退院の翌日ぐったりしていたため熱を測ると38度だった。
急いでかかり付けの医師に相談すると点滴をしてくれたが、本人いわく「あまり変わらない。」そのまま三週間自宅で様子を見る。次第に腕もあがらなくなりさすがにおかしいと思い救急病院へ。診断は誤嚥性肺炎と心不全、低ナトリウム血症、低アルブミンで肺炎は重症と診断された。医師からは「欧米では肺炎で3か月以内に肺炎になった人にはもう治療をしないのです。ここは日本だからやりますが、延命どうしますか」頭が真っ白になった。
兄弟とも話しをして延命はしない方向で医師に伝えた。炎症反応も17を超え白血球も数が上がってくる。タンを取るのが二時間に一度。酸素の数字は3を示していた。点滴だけで食事は出来ない日が続く。本人は意識がもうろうとしていたのだろう、面会に行っても目を開けることはなかった。
何もすることがない。病室を後にする。

それから二、三日後、レントゲンを撮ったりCRP炎症反応や白血球の数をみたりしたがなんとか山を越えたらしい。

その数日後、病室へ行くとST(言語聴覚士)さんが水の飲ませ方を書いた紙を貼り本人に水を飲む訓練をしていた。喉仏が上下したのを確認して飲ませるよう言われる。水といってもとろみのある水だ。アイソトニックゼリーという。一口口に入れて、「水ですよ、はいごっくんして!ごっくん!」
本人の喉仏が上下するのを見届けてから「はい、よくできました。もうひとくち飲みますよ、はいお口に入れますよーはいごっくん!ごっくんですよ」
「念のため吸引しますね、ああ大丈夫です。ちゃんと飲めてました」
誤嚥になると恐ろしい、一口が命取りになる。
私も飲ませ方から教えを乞おうとしたがかなり怖い。しばらく見学であった。最初はとろみのある水、そしてゼリー、それから数日してミキサーとろみ食の訓練食と書かれているものになった。

食事はすべてドロドロのミキサー食にとろみをつけた物。どれがご飯で汁物でおかずなのかさっぱりわからない。お皿がそれぞれどの料理かを教えてくれるくらいで、すべて泡だてたノリの塊にしか見えない。食事がでても本人は全部食べれなかった。数口食べるだけでむせる。むせるとナースは様子を見て食事を下げてしまう。食事でも体力が必要で一回の食事にかける時間は20分と言われた。その時間を超えたら疲れてしまう。疲れていては食べることも出来ない。食事は病院の決まりで二時間で下げることになっているが数回で下げていた。

一口、また一口だ。間違って肺に入るとまた命取り。一口を本人の体力に合わせて食べさせる。ナースの忍耐も大変だろうなと思って見ていた。一口食べさせるのに「はいご飯ですよーごっくんしてくださいね、はい、ごっくん!はい、よくできましたー次行きますよーおかずですよ。はいお口に入りましたよ、ごっくんして下さい、はいごっくん!ごっくんですよー、ごっくん!まだ喉に止まってます。頑張ってはい、ごっくん!!はい入りました、食べれましたね。もう一口いきましょうか、お口あいてください。はいおかずですよー。お口に入れますよ、はい入れました。ごっくんして下さい、ごっくん!はい、OKですー」ずっと食事中この状態であった。喉の喉仏が上下するのを見届けて一口一口話しかける。ナースすごい、すごいよ。

STさんが言うには。「私たちも年を取ると飲み込むのにすごく力が要るようになるんです。みんなそうなるんです。若いうちはなにも意識しなくて食事して飲み込むんですが年を取って筋力が落ちると物を飲み込むにもとても力と集中力が必要になるんです。一歩間違うと肺炎で命を落としますから、体力をつけましょう」

誤嚥という事はわかるがそれなら、初めから飲み込ませるのが大変なら胃カメラみたいにチューブでも胃まで差し込んで液体を注入すればいいような気がしていたが食べる訓練をするのだと知った。まどろっこしい、と思っていた。でもなにか目的があるんだろうな。これから家に帰ったら食べないといけないんだろうし。などとぼんやり思っていた。

口くうケアも同時に行われた。舌苔が真っ白でひどかったのだ。食事後にナースがとっかえひっかえ少しずつ少しずつ専用のブラシではぎ取ってくれた。舌苔が取れるまで数日かかったがこんなにきれいなピンク色をしていたのかと感心するほど綺麗に取ってくれた。
後日、最初の肺炎の細菌性肺炎の原因はひょっとしたらこの舌苔と睡眠時無呼吸の組み合わせで起きたのではないかと思うようになった。テレビで肺炎と睡眠時無呼吸症候群の話をしていたからだ。

数年前に睡眠時無呼吸症候群のテスト入院をした際、既定の回数に達しなかったので症候群扱いにならなかったが何度か無呼吸は確認されたしその都度口を開けて深く大きな息を吸う呼吸をしていた。ばっちい唾を思いっきり吸い込んで肺炎をやらかしていても不思議ではない。今は寝るときなるべく横向きに寝かしている。念のためエアコンの掃除はまめにしてるし、土埃も空気清浄器を付けたしクリルベンも置いた。ベッドの下の誇りやカビも拭き取っている。なにが原因かわからないが怪しいのはとりあえず取り除くよう努めている。

その後リハビリは立ち上がりも含まれた。手足にまひが残るがヨタヨタでも捕まってなら少しの時間なら立っていられる。とにかく立つことが出来なければ寝たきりで褥瘡になる。病院のベッドは褥瘡になりかけていたためエアーベッドであった。それを起こして車椅子に乗せて手摺になんとか捕まれないかとPT、OT(どっちが最初だったか)さんが開始してくれた。入院でベッドに寝っぱなしだったため早くしないと体力が落ちてしまうから。本人もヨタヨタだったが必死に手摺にしがみ付いて立とうとしていた。一瞬数秒だったが手摺に捕まって腰を浮かせることが出来た。それでもう疲れてしまったのでまた次回になったがとりあえず立てた。そんな日々だった。

そして退院。栄養士さんから主食はおかゆ、おかずはミキサーとろみ食、補助の栄養ゼリーを取り寄せ水はアイソトニック。少なくとも三か月は気を付けて、緊張が無くなったころ皆さんまた入院されますと言われ目標三か月は入院したくないと家で食事を作る。
そして順調に自宅で過ごしていたころ事故が起きた。居間で転倒、左大腿部頸部骨折だった。

ちょろちょろ動き始めて危ないから待っててと声をかけ食事を作っていた時に、椅子と共に転倒した。急いでケアマネとナースを呼びまた救急車で病院へ。12月25日クリスマスの出来事だった。
翌26日に手術。病院は手術の予定は26日が最終だったらしい。正月休みになるので少しぐらい大勢でも終わらせてしまうとこだったそうだ。幸い手術の予定をいれることができ、24時間待たずに手術となった。

また大腿部頸部骨折の後次にやるのは動く方の足で今度は大掛かりな手術になり体力的に出来なければまあ寝たきりになると言われた。
寝たきりになったら後は肺炎か認知症感染症か合併症などでサヨナラコースと決まっているそうだ。だから危ないから動くなと言ったのにうちの親は子供のいう事を聞かない。しかし起きてしまったのは仕方ない。

大腿部頸部骨折はこの地域のこの病院では一日一件はあるメジャーな骨折で、今日もまた今日も、といったくらい毎日やっているそうだ。レントゲンを見るとどこを折っているのかわからないくらいだった。うっすら筋があってこれが骨折の箇所だった。骨折した後すぐに無理して立ったり歩こうとしなかったから骨がバラバラになってなくて良かった、と言われた。
本人は床からは自分で起きれないのと、私がすぐ見つけて動かさなかったのだがそれらが幸いした。歩こうと立ち上がり体重を乗せた途端骨がバラバラになるのだろう。骨がバラバラになっては他の危険なことが増える。とにかく高齢者が転んだら無理やり起きて歩いてはいけない。動かさないですぐ救急車を呼ぶべし。

手術は成功した。翌日から座位と体重を乗せるリハビリ。毎日大晦日もリハビリ。肺炎でお世話になったSTさんも食事に来てくれたりしてリハビリ。正月料理も出たんだろうが、嚥下訓練食のためミキサーでドロドロではなにがなんやらわからない食事が出ていた。お正月なのに。
そう病院はお正月なのにリハビリをやってくれた。付き合ってくれる理学療法士さんありがとう。一日も休まずにやってくれた。

そして転院。今は救急病院は2週間で出ていくとなっている。しかし年末年始があったせいかおよそ一か月入っていた。転院先の病院でこれまた毎日リハビリだった。歩行器で歩けるようになり食事も普通食に近い柔らかい食事まで回復できた。そして二か月で退院。ほんとうは三か月くらい入っていられたのだがものすごいインフルエンザが流行っていて本人が病院にいるのが嫌になってしまったからだ。隣の患者から咳がとび高熱が何度も出る。おかしいというのだ。それでまあ退院となった。

ネットで見ると骨折する前のようになる人は1割らしい。杖や歩行器になったり車椅子になったり。うちの親はもともと歩行器と車椅子なので以前とあまり変わらないがそれでも前みたいに歩行器の使用は控えるようにした。歩く練習の時は後ろをついて歩いた。

2018年11月なんとか自宅で風呂に入れるようリハビリを開始。最初は5分で立てなくなったが今は20分ほど湯船に入っていられる。
普段の生活ができるというのは、とても幸せなことだと思う。
そして新元号が明日発表される。