古い地震の言い伝え

親父から聞いた話だ。
ひいおばあちゃんは10キロほど先の集落からお嫁に来た。
実家は豪族で「おひいさま」と呼ばれていた。嫁入り先は周りよりも小高い土地の家だった。


そこに濃尾地震が起きた。

ちょうど寝ていたのだろう、ひいばあちゃんは「びっくりして起きた。天井を見たらお月様が見えた」と親父に言ったそうだ。ネットで見ると地震は10月28日6時40分ごろ起きたのだ。

それにしても一家は無事だったのかと聞くと死者はなかったと。当時の住宅は屋根は茅葺で軽くできていたからだろう。自宅家屋はばたっと北側に倒れ、あたりを見ると小高い土地だった自宅の家の周りはどんと3メートルは下がっていた。近くの小学校は全壊。嫁に来てこんな風景を見るとは思ってもなかっただろう。


地震後、ひいばあちゃんは、ひいじいちゃんに「これはいけない。すぐ、千代保稲荷神社へお参りしてこい」と言った。それからすぐ神社まで行ったらしいが今でも車で二時間はかかるような道のりだ。それでもひいじいちゃんは朝一番で起きて出立して帰ってきたらしい。

ここの地形は不自然な地形をしているので、地震で一帯が下がったとなるとなるほど納得である。かつて土地は河川だったらしく井戸を掘ると河原の丸石がたくさん出てくる。500メートル先の建設現場で基礎工事で掘り下げたときは集落跡も見つかっている。そして水田もかつて小高かった土地へ向かって水が流れていく。今は、周り一帯水田と畑だったところに住宅が密集して立ち並んでいる。


私が育ったところはそのひいばあちゃんの家からみると小高い、以前は低かった畑に家を建てた。小さいころは知らなかったので見晴らしのいい日当たりも良いとこだと思っていた。断層ができた家の畑の一部はそこから崩れたのだろう。小さな崖になっている。土は上部は突き出ていて下部はえぐれたかのように経込んでいる。そこはいつか崩れてくるだろうと思われていたが、台風で大水があっても上を人が歩いても、それ以上崩れずにその形を保っていた。

 

地震が起きたら。

耐震化工事はしてないが家具は固定してあるし、枕元にスリッパはあるし、懐中電灯もある。水と少々の食料もあるが生き残れるかどうかは別だ。

とにかく自分の体力が一番なので疲れたときは、寝ておく。これくらいしか思いつかない。