かつて町内の仕事だったお葬式

親からは様々な昔の話が聞ける。
ひとつは苦労話だ。田舎で葬式が出来たときの町内の仕事がある。
あまり縁起の良い話ではないので気味が悪かったら読まないほうがいい。

 

今は葬式業者がいて火葬場も大変きれいな施設だが昔はそうではなかった。
町内のなかで人が亡くなると町内で葬儀を執り行った。町内の中で亡くなった人のいる家から最も近い家々が葬儀のお茶くみや式場の運営をすると決まっていた。亡くなった家の隣を借りて控室にし、葬儀に参列する人達の為に女たちがお茶くみをする。普段使っている一般人の台所に数人の女性たちがわらわらと入ってきて茶碗を洗いお茶を沸かし参列者に持って運ぶ。当家の家ではおやじさんたちが座敷にあがり黒と白の幕を壁伝いに覆い式場をつくる。
そして、これとは別に一番大変な仕事が墓穴掘りだった。墓穴掘りは当家から最も遠い家々が行う。

当時、墓は土葬で墓地に埋葬するのだが、代々使われてきている地域の共同墓地では新しい場所に穴を掘るというのではなかった。木製の墓標が朽ちてしまったところに再度穴を掘って埋葬するのだ。そしてその墓穴掘りの仕事は和尚でも死者が出た当家でもない。先ほど言った当家から最も遠い地域にある家々の男衆が担当すると決まっていた。墓穴を掘るのは四人、もっとも辛くいやな仕事だった。あまりに嫌な仕事なので酒を飲んで墓穴を掘るのだ。

穴は大きさ1M×2M深さ約1M。四人は二人一組になり、先の組が場所を決めてスコップで掘る。ある程度は土だけだから良いが途中からはそうはいかない。掘り進むと以前の骨とか石とかが出てくる。ガンとスコップの先に当たって音がする。自分の足元もすぐ横の壁になったような土からも骨やら着物の端やら出てくる。自分の周りは骨だらけだ。骨も黒っぽい骨とか茶色っぽい骨とか出てくる。茶色のは糖の多い砂糖とか米とか沢山食べていた人の骨だとか言われる。骨も石も土と一緒に上へ放り上げてガツンガツンと掘り進む。そのうち髪の毛の長いのがスコップに巻きつきながらズルッと出てくると、もう気持ち悪くなってぞっとしてしまう。精神的に参ってしまい疲れてなくても「おーい交代」と言ってしまう。そして穴から出てため息をつき酒を飲む。気味が悪くて酒を飲まないとやっていられないそうだ。
業者とか学者とかではなくて一般の人が掘るのだから普通の感覚だろうと思う。そうして一メートルほど掘って前半の仕事は終わる。疲労困憊状態で共同墓地の端で休憩するのだ。葬儀が終わって棺を共同墓地の中央にある蓮の形をした石の上でくるくると三回ほど回し、先ほど掘られた穴に入れ新しい木の墓標を立てる。と今度は先ほど掘った時出た土(もちろん出た骨も合わせて)を上からかぶせて埋めていく作業をして終了する。遺族はその盛られた土の上に自分たちで拾い集めた河原の石を四角く並べて二、三段ほど積み上げる。なぜ河原の石かと言うと自然に帰るので人工物はなるべく使うなと町内で言われたそうだ。

墓はこの共同墓地のほかに石だけの墓も建てる。埋け墓と引き墓だと言われた。宗派や地域によるのだろうが結婚した当時、なぜ二つも作るのかと聞いたら遺体は墓標が無くなれば消えてしまうので石だけの墓を寺横に作るのだと。そしてお寺で管理するそういう決め事だと聞かされたそうだ。
そのお寺は地域町内のなかで費用を出し合い、寺院を建て掃除をしていた。戸籍管理も結婚式もしていた。今は町内会は解散したり、お寺も懐事情が大変な寺が多いらしいが、少し前は地域でなくてはならなかった。

わが親はこの墓穴掘りを結婚して半年のうちに7回、掘らされたらしい。